身体哲学ファイルLOGOシリーズVOL21「みみ」

みみ (iroi)




身体哲学ファイルLOGOシリーズVOL21








シンプルな構成、毎回与えられるロゴは、




僕のパフォーマンスに対する情熱と極意を一つ一つ形にしたものです。




今、傾舞(KABUKU-MAY)唯一の定期公演、




純粋な傾舞(KABUKU-MAY)が体験できる唯一の機会です






dance / JUN




Sound : kato yoshiki


place / Salon de AManTo天人
http://yura-ism.com/amanto/





OPEN   19:00〜    

START 19:30〜




2000円 予約(1ドリンク付き)06-6371-5840 jun@yura-ism.com


解説)

「みみ」とは耳であるが傾舞(kabukumai)では「身身」と考える。
古来から 身二つになることは子を生むこと。出産の意味もあるが(御―とだになり給ひなば/宇津保。俊蔭)
身体運動からすると耳は音を聞く事と同時に平行感覚を司っている部分である。
そしてダンサーにおける子とは自分と天地の間に生まれた舞人としての意識…新しい自分の事
両耳が象徴する2つの身体の間に立ち表れる幻の自分なのだ(幻有genyou、gen-u)

この左右の耳には傾舞(kabukumai)の中心概念、「右の身体」、「左の身体」の意味があり、それぞれその使い方に口伝がある
右は「水極まる」の言霊から水極=MIGI=右
左は「火垂れる」の言霊から火垂れ=HIDARI=左
水と火の身体の中庸に立ち現れるのが本性として自己「幻有」であるといわれる。

右の耳は水の身=「徳」を司り『魅の耳』とよびます。
左の耳は火垂れの身=「聖」を司り『福の耳』と名づけられています。

「聖」と、「徳」から成り立っている言葉に『聴』という言葉があり
これが聞く(学ぶ成長する)の極意をあらわしています。

傾舞(kabukumai)の極意に「目は耳のように耳は心のように」というものがありますが
心のような耳とは「聖」と、「徳」からなる「身身」のこと。
「身身」の間の「幻有」を身につけバランスを司る人となった時
舞人として一人前になれるのです。

2つの耳を故事から引用してみましょう。
『聖耳(せいじ)・・・福の耳』
人の話を一心に聞く耳です。全身で聞く耳も、身身(みみ)という。
巨耳細口、多耳少口、聞き上手は、自分の知見を広め、人間関係をよくすると教えています。

人は本気で聞いてくれる人に好意を持つもの、聞いてあげることは、功徳といえる。
人に愛情を施す耳が聖人の耳であり、福の耳なのです。

『徳耳(とくじ)・・・魅の耳』
自分の魅力を磨く耳。この修行は、黒田長政のように、常に諫言を聞く環境をつくることです。
諫言こそが人間を磨く最高の修行といえます。
これは『意識』するだけでは不十分で、諫言ができるような
「雰囲気」あるいは「仕組み」をつくるべきであるといわれています。






2つの耳には外中内の3つの秘訣をもって「耳」→「身身」となれます。

さらに、
二つの身体「身身」は、天人地の3つの口伝による調整で「身身」の間に「幻有」が立ちあられ、
その本当の身体「幻有」をもって舞を舞えとおしえています。

ではまず
外中内の3つの耳を説明しましょう。

外中内は「外耳・中耳・内耳」の三耳であり

『外耳』とは聞くことに徹する事。
『中耳』とは相手が話したいことを質問する事。
『内耳』見えない努力を褒めること事。

であります。



そして …
「天・人・地」の3つの「身」とは…

『天身』意識を整える事。
『人身』口(言葉、と息)を整える事。
『地身』肉体を整える事。

この三身です。



口伝歌に
「耳は外から身は地から…」といって「外耳」と「地身」から修行せよと教えています。

これにより精神的には「中庸の功徳」が身につくとされ
右にも左にも偏らないだけでなく右左を含む太く自在な中心力が身につきます。
これにより精神的にも肉体的にも統合された自己が確立します。

これによって修行を続けると現象としては①思考は想念(イメージ)が分離する
②想念が意識(潜在意識)と分離する③イメージや思考による心の乱れに左右されない舞人となる
といった過程を経験します。(表→裏→芯の系譜をたどるという)

これが「みみ」の極意であり
すべての事象のバランスを司る傾舞人(kabukumaibito)となる口訣なのです。