「縫い」 (nui) 

「縫い」 (nui) 


身体哲学ファイルLOGOシリーズVOL16






シンプルな構成、毎回与えられるロゴは、


僕のパフォーマンスに対する情熱と極意を一つ一つ形にしたものです。


今、傾舞(KABUKU-MAY)唯一の定期公演、


純粋な傾舞(KABUKU-MAY)が体験できる唯一の機会です




dance / JUN


sound / miyake (SAX)


place / Salon de AManTo天人



OPEN   19:00〜    
START 19:30〜


2000円 予約(1ドリンク付き)06-6371-5840 jun@yura-ism.com
 




特  典


1)電話予約、メール予約の方にはドリンクチケットプレゼント
  Salon de AManTo天人 06−6371−5840     (12:00〜23:00)
  メール受付     amanto@yura-ism.com    logo受付係まで
2)身体哲学LOGOスタンプカードもれなく進呈中
  通算3回来てくださった方にはJUNオリジナル限定DVDプレゼント





解  説


「縫い」…その極意と伝説


「縫い」とは、客体と主体を結びつける事。
客体と主体とは 観客とダンサー、ダンサーと劇場、劇場と大地、空間と時間である。
「縫い」により、さまざまな客体と主体を複合的に結び付けていくと
そこに主客の区別がなくなっていく…


そして主客同体となったとき最後に残るのが
「縫い」と「対象」(すべての複合)だけ…


本来すべてのものが繋がっているとされる
野生の思考というものがあるがネイティブアメリカンの聖なる言葉「ホウ ミタクヤシイ」
日本の「和をもって尊しとす」などはすべてこの繋がっているという状態をさしている
経験上、同等の言葉はふるい民族にはみな存在するものだ。
「傾舞」ではその「状態」ではなく「つないでいるもの」自体の存在に着目する
というアイデアに到達した。
そしてそれはやはり存在した
傾舞は古の技術を復元してコントロールする事を業(わざ)とする。
太古から伝わる極意を活用するのだ。


昔から非生産民である我々は持てる時間のすべてをその研究に費やしてきた。
ダンサーが太古から祭や祭事のおり、人々と大地をつなぐ役割を
おおせつかってきたのは歴史的に、この「繫ぐもの」をコントロールできたのが
実はダンサーだったからだとされる。


現代では身体操作のための様々な研究が試みられて
太古の技術が最先端の技術で解明され
オリンピック選手などの間でもてはやされているが、
この外性意識との関わりは
まだ全くといっていいほど研究されていない…


というか論点にないようだ。


おそらく今後この古の知恵は運動科学ではなく、
物理学や量子科学の分野のほうから神話伝承の
研究が進んでくるのかもしれない。



この「つなぐもの」とは森羅万象がまだ、ひとつの事象として存在し
万象が分かたれていなかった無極の時代の残存物質なのだ。
これは渦巻きにヒョロ長い尻尾のついた形にシンポライズされ知覚される。


ダンサーはこれに集合をかけ渦巻きを引っ掛け、つなぎながら空間創出をしていく。
この渦巻き粒子は数百億年前のおそらくビックバン以前の高次空間の残像であり、
科学ではまだ定義すらない神話上の粒子である。
これはエントロピーを増大させようとするのとは逆の働きをしていて
すべてをつなぎ合一しようとする性質があるが、
この宇宙にはどこにでも無尽蔵にあり
しかも微細で微量に、すべての物質の間を埋め尽くしている。


「縫い」とは現代では漢字を当てはめているが、本来は「nui」である。
これは古い言葉では「nus」と「i」の合成語であり、
nusとは主(ぬし)の意味。「i 」は意思もしくは意識のこと。


繫ぐ極小の微粒子を「nus」といい、彼らは自分たちこそ主だと思っている。
それに対しベクトルをもった意識が「i」…つまり我々を含むこの宇宙の現象だ。
つまり我々はこの「i」のオーダーによって現象化した
世界に具象を体現して生きていると考えてみる。


「nus」からみれば自分こそすべてが分かたれる以前の残存であるからし
「主」といっているのであろうが、「nus」 は 「i」あってこそ
存在し、逆もまた真である。


「i」のオーダーにより物質化した我々は分化を繰り返し、高度に複雑化した
身体と精神をもってしまっている。
この根源とのダイレクト感を活用するにはnus+i=nuiの業が有効なのだ。
この最後に残った相対世界のもっとも単純化したモデル「nus」 と「i」
もしくは「縫い」と「対象」は、事象をシンプルに物質の根源に伝える
作用をもっているから…ダンサーはこれを活用するのだ!


縫いの業(わざ)により「nus」と「i」との間にダイレクトに伝わる意図は
ダンスでは観客を魅了するし
武術では敵を味方とする事も可能であるされていた。


このシンプルな構造に伝わる「意図」とは、意思を持たぬ、
純粋調和の「運動エネルギー」=指向であった。
古代、ダンサーはこの人々の自然回帰、大地との調和のために舞っていたのだ。


現代のようにダンサーが自分の意志で踊れるようになるまでの数千年不幸な歴史が
ダンサーからこの「縫い」の極意と技法を奪ってしまう…
だから今自由人になったダンサーで縫いを知る人はほぼ絶滅してしまった…


伝承は語る…


この星に国家が生まれ、富のための争いが始まると
時の権力者は太古からこの秘儀に目をつけ、
それを可能とするダンサーを世界遠征によって
競ってさがすようになる…(当時でも縫いの踊り手はもう少なかった)


もちろんそれは大衆を都合よくコントロールするため…
歴史上の真の「縫い使い」は幽閉され、国家に管理されるようになる。


本来、土地を持たぬ漂白の民であったダンサーの多くは国家太平、国土安泰のため
その土地に一定の場所にかこわれ、祭事に専念させられた。
ダンサーは彼らの権力の保持に利用されて続けた…力は形骸化し
ひどいところでは形式だけが残り
「縫い」の意味すら忘れ去られれしまう場合も…悲しい歴史だ。


「縫い」の技術は本来、誰のためでもなく、森羅万象が調和し「聖」も「邪」も
未分化のレベルで合一を果たす「原始の思考」なのである。
「縫い」…あなたはその夜、何と繋がるのか?