身体哲学ファイルLOGOシリーズ「漏斗」 ( routo ) 

「漏斗」 ( routo ) 

身体哲学ファイルLOGOシリーズVOL15




シンプルな構成、毎回与えられるロゴは、

僕のパフォーマンスに対する情熱と極意を一つ一つ形にしたものです。

今、傾舞(KABUKU-MAY)唯一の定期公演、

純粋な傾舞(KABUKU-MAY)が体験できる唯一の機会です

dance / JUN

sound / 龍笛 出口煌玲





place / Salon de AManTo天人

http://yura-ism.com/amanto/

OPEN 19:00 19:30〜

2000円 予約(1ドリンク付き)06-6371-5840 jun@yura-ism.com

解 説


作家の意図を伝える一般の作品と違い、
傾舞(kabuku may)独自の各種システムによって
収集、知覚、認識された情報を作品に反映させ、その場の必然を舞う。
そこが今までの即興舞踏との最大の違いだ。

即興にも各段階があり、
1)自分の訓練してきたルーティーンを組み合わせて思考して動く
2)自分の内面、体感にアプローチして動く
3)自己の置かれた環境(場所、観客、五感からくる情報など)を感じて動く
4)内部と外部の情報の中で動くべきを動く(必然動向)
5)4に過去未来(つまり時間のファクター)を追加して動く
6)5に天地の動向を追加して動く
などダンサーの修練度合いによって各階梯が待っている。

そのためのアンテナと必然を決めて行くシステム、
その修行方法全体を傾舞(kabuku may)では「漏斗」という。

一般に傾舞(kabuku may)は
イメージやインスピレーションを膨らませて動く一般の即興と違い
曖昧を極力省く事で場の必然を定めて行く所に技の妙技と醍醐味がある。

かなりの達人でないかぎりイメージやインスピレーションを頼りにする事は
あまり高級な極意とはいえない。

イメージは安直に自己に入りこめる代わり
自己の癖や思い込みに左右されやすく人のためというより
自分のための動きにはなりやすい。

あくまで傾舞の感動は人を見せているようでいて
その観客を含めた空間全体を観客に感じさせることにある。
類まれな縁で集った人々の奇跡をダンサーを通して感じてもらい、その意味を
悟ってもらう行為でなくてはならない。


つまり「不特定多数の共感共有点としての特異点」それがダンサーであり
演奏者の資質なのだ。

各自が全く違う意図でみている観客の、最大公約数的な情報を受けて
あるべき感動へと人を誘う。

それはかわった珍しい動き、奇抜な演奏をするというのではなく、
「ただ歩く」「ただ呼吸する」といった当たり前の動きの中に
その質感、スピード、重心、エネルギーなど一生に一回しかない体験を
感じさせなければならないのだ。

その外部と内面の情報を螺旋に絡めとり、必然を定めて行く…
そんな意識の形そのものを「漏斗(routo)」という。

「漏斗(routo)」による感動は、一般の意味と少し違った特徴がある。
予定調和に作家の意図を伝えるのだはないので
見ている人全員に違う想いを伝えるという解釈、価値観の「多元性」に特徴がある。

傾舞(kabuku may)を体験し終わった後、是非、お隣の人と話しあってみてほしい、
あまりに皆さんがそれぞれ違う事を感じているのに驚かれるはずだ。